第7回 キレイすぎて落ち着かぬ!? “無機質部屋”の謎
吾輩は猫である。名はキキ猫。
本日は、とある“整いすぎた部屋”について語らせていただこうと思う。
🐾 それは「完璧すぎる部屋」との出会いから始まった
ある日、主(あるじ)が吾輩を連れて訪れたのは、まるでモデルルームのような家であった。
床に何ひとつ落ちておらず、棚にはモノが少しだけ。色味も白とグレーを基調としたシンプルデザイン。
いわば“無機質部屋”である。
一見して、清潔で整然としている。だが、吾輩の毛は逆立った。なぜなら、どこにも「気配」がないのだ。
🐾 においがせぬ、音がせぬ、暮らしの気配がない
猫という生き物は、空間に漂う“におい”や“音”で、その家の暮らしを感じ取る。
だがこの部屋には、食器の音もしなければ、布のこすれる音もない。
クッションすら整えられ、窓のカーテンもピシッと直角である。
「ここにヒトは住んでおるのか?」
吾輩はしばし、本気でそう思った。
そして、ようやく主が「ここが友人の家にゃよ」と教えてくれたとき、
ようやく少し安心したものである。
🐾 心地よさとは、“ちょっとした乱れ”の中にある
もちろん、片付いていることは良きこと。
だが、片付けすぎて「無」に近づいた部屋には、心のぬくもりが宿らぬこともある。
たとえば――
- ソファにちょこんと置かれた毛布
- 使いかけの本が置かれたローテーブル
- キッチンにぶら下がるタオルのゆらぎ
そんな“小さなゆるみ”が、吾輩にとっては「この家は安心にゃ」と思わせてくれるのだ。
🐾 猫もヒトも、ほんの少しの“生活感”に癒される
完璧を目指すことが悪いのではない。
ただ、暮らすということは、すこしの“乱れ”と“柔らかさ”を含むものであるということを、忘れてほしくないのだ。
吾輩が安心するのは、毛布の中に主のにおいが残っているとき。
ヒトだって、使い込まれたマグカップにほっとすることもあろう。
🐾 おわりに:整いすぎ注意報、発令中
無機質な部屋も素敵である。が、「暮らしている痕跡」こそが、空間に命を吹き込む。
吾輩は今日も、ソファの上でひとつ伸びをしてから、主の置きっぱなしのブランケットに潜り込む。
――そう、それが、猫にとっての最高の“整理整頓”の証なのである。