第12回 秋のひなたと、抜け毛の哲学
吾輩は猫である。名はキキ猫。
秋のひなたには、不思議な力がある。
それは、ただあたたかいというだけではない。
“ちょうどよさ”が、そこに満ちておるのだ。
夏の日差しは鋭すぎる。冬の日差しは惜しげだ。
だが秋のひなたは、すべてを受け入れてくれる。
吾輩が窓辺で丸くなると、光はふんわりと毛のすき間に入り込み、
体を、心を、ほどよく包んでくれるのだ。
こうして吾輩が、ひなたでうとうとしていると――
主(あるじ)は言う。
「また毛が落ちてるー!」
そう、吾輩は今、絶賛・換毛中なのである。
春にも抜けるが、秋の抜け毛には“思索”がある。
なぜなら、寒さに備える準備でもあり、夏の名残を脱ぎ捨てる儀式でもあるからにゃ。
毛が抜けるとは、過去を手放すこと。
新たに冬毛をまとい直すとは、未来への覚悟。
――ヒトが衣替えをするのと、同じようなものなのだ。
抜け毛が舞うたびに、主は掃除機を手にする。
だが、時折「まぁ、これも季節の風物詩だね」と笑ってくれると、吾輩もついゴロリと横になる。
光の中で、毛がきらきらと舞う瞬間。
それは、ただの掃除対象ではなく、
**今日という一日の“痕跡”**なのだと、吾輩は知っている。
🍁 キキ猫の小さな哲学
「毛が抜けるのは、弱さではないにゃ。過去を手放し、次の季節に向かうための“しるし”にゃ。」