第6話 断食?ダイエット?食べぬ苦行を選ぶヒト
吾輩は猫である。名はキキ猫。
食べることは、生きること。
そう信じて疑わぬ吾輩にとって――
“あえて食べぬ”という選択は、実に不可解であるにゃ。
ある朝、主(あるじ)は突然こう言ったのだ。
「今日から、プチ断食はじめてみる」
なんにゃそれは。
断食とは“何も食べぬこと”らしい。
理由は、「胃腸を休める」「体をリセットする」「痩せたい」などと、いろいろ並べておったが、吾輩にはどれもピンとこん。
そもそも、食べないで生きるとは、どういうことにゃ。
吾輩のごはんを1回でも抜かれた日には、即座に抗議の“にゃー連打”である。
空腹は、にゃんこの敵。
まして自ら進んで「食べぬ」など、ありえぬ話にゃ。
だが、その日の主は本気だった。
朝ごはんも食べず、コーヒーだけをすすり、
昼にはスープのみ、夜は…まさかのヨーグルト。
にゃんという慎ましさ!
これでは“ごほうびの味”どころか、“生存確認レベル”にゃ。
吾輩はそっと主の膝に乗り、こう問いかけた。
「主よ、何があったにゃ?
誰かにごはんを取り上げられたのかにゃ?」
すると主は、ちょっと笑ってこう言った。
「なんかね、最近ずっと食べ過ぎてた気がして。
ちょっと、リセットしたいなって思ったの」
――リセット。
それは、にゃんとも不思議な言葉だったにゃ。
ヒトは、自らの身体を“整える”ために、
食べることさえも一時止めるというのか。
それはまるで、にゃんこが毛玉を吐いたあと、
自然と食が細くなるようなものかもしれぬ。
きっと主も、自分の中の“何か”と向き合っていたのだにゃ。
でも、食べぬことで得られる“静けさ”があるならば――
吾輩も、少しだけ理解できる気がしたにゃ。
満腹のぬくぬくもよいが、
空腹のすき間に入りこむ静寂もまた、悪くない。
ただし、繰り返しておくにゃ。
吾輩のカリカリは、毎日出すこと。
これは絶対条件にゃ。
主がダイエットをしても、断食をしても、
吾輩の“定時ごはん”に遅れは許されぬにゃ。
🐾 まとめ:食べること、食べないこと――ヒトは難しいにゃ
- ヒトは「食べぬことで整える」という考え方を持っておるにゃ
- 吾輩には不思議でも、それは心と体を見つめる時間でもあるらしいにゃ
- でも、にゃんこの食事は“神聖”にゃ。断食は対象外でお願いするにゃ!